まいこです。
ちょっと面白いなって思った話。
以前に京都の縁切り神社に行こうと思ったのね。
安井金比羅宮って有名な神社。
知り合いの方に「すごいで。半端な気持ちで行ったらやばい。」
って教えてもらって
なんとなく「よし、行ってみよう。」と思ったのね。
ちゃんと行き方を調べて京都駅まで何事もなく到着したんだけど
京都駅から一歩も足が向かないの。
わかるかな、この感覚。
その時の私は
ああ、今じゃないんだな。
今は行くべきところではないんだな。
って思ったの。
京都駅でちょっと贅沢なランチをして帰ってきちゃった。
縁を切りたいって強く願うほどの人や物事ではなかったんだけど
なんとなくモヤモヤした関係の人がいて
すっきりしたい自分と、離れたくない自分がいて
そんな自分に縁を切りたいって思ってた。
それが数カ月前の話ね。
自分の中でその時のことは腑に落ちていて
自分の力でなんとなくその時の自分の感情とは縁が切れていたんだけど
ふと昨日、その時の話をしたのね。
縁切り神社に行こうと思って京都に行ったけど、足が向かなかったって。
そしたらね、その話をした方の反応が
「縁を切ろうとしている人の念が、あなたの足にしがみついてその神社に行かせないようにしたんじゃない?」って言ったの。
もうね、びっくりしちゃった。
その捉え方はしていなかったから。
始めてそんな捉え方があるんだって気づいた。
それを聞いてピンとこなかったから違うんだと思ったんだけどね。
そんな捉え方もあるんだなって驚いた。
いや、面白いよね。
物事って同じ事象でも捉え方次第でどんな解釈でもできるじゃない?
ほら、あれよ。
もう半分しかないと思うか、まだ半分もあると思うかみたいなやつ。
多角的に物事を見ることが大切って知っているけど
実行するのって意外と大変なのよね。
多角的に捉えているつもりでも、気づかない方面があったりね。
だから、いつもと違う人と話をしたり、違う環境に身を置くと
今までとは違う視点や捉え方に巡り会えるんだなって。
どうしても居心地のいい場所ってそこに留まりたくなるけど
たまには新しい出会いも必要なんだなあ。
いやあ、面白い経験だったわ。